2013.5.10.Fri. 10:15
前の前の会社を辞めた後、1年間の就活を経てやっとこ、今度こそWebサイト制作を専門に請け負っている会社に就職する事が出来たのでした。
その1年間も苦悩の連続でしたがねー…受けれど受けれど祈られまくるし、会社員よりバイトがしたいと相談しても却下されるし、迷走して何か漢検とかExcelの試験を受けたりもしていた。
僕自身はマークアップエンジニアになりたかった筈なのに、何故かユーキャンでカラーコーディネーターの講座に申し込んだりなどもして(内定と同時に頓挫)。
この時の就活もまた、酷い実態があったりしたものでして。
これらについて昔同人サイトの方で愚痴ってしまったのが若干の反省点。
Web制作会社というものはジャンル自体が若く新しいものであるからか、社長レベルであっても若い人であったり、社員数が非常に少なかったりする事も珍しくなく。
社屋が一般的なマンションの一室で社員が3人しかいない、なんていう会社も見ました。
僕が最終的にやっと内定を獲得した会社も、社長は40代で社員数も僕含め18人という、Web制作会社としてはそこそこ見られる中小規模でした。
普通に私服で出勤出来たり(前の前の会社では男性はスーツ・女性は事務員っぽいというよく分からないドレスコードの範囲内で私服OK)社内でラジオを流していたり、Web制作会社としてはありがちなレベルでチャラかったのも良かった。
その会社にてマークアップエンジニアとして採用されて、やっとHTMLとCSSを専門とした仕事をする事が出来るようになった訳ですよ。
MTとかファーストビューとかスムーズスクロールとか、その会社でたくさんの知識や技術を覚えた。
今こうしてこのサイトをMTで構築出来ているのも、その会社で色々とMTを実践する事が出来たからこそ。
で、そんな、僕にとって待ち望んだともいえる環境でありながら、何故表題のような烙印を押す事になったのか。
それには、以下のような要素があったからです。
幸いにも僕は体調不良の時にまで自宅で仕事をした事はなく(しかし自宅で無給で働かされた事は一度だけあった)、確固たるガラケー派である為自分の端末を他の人にベタベタ触られたりする事もなかったんですが、それにしても酷い環境であったなと改めて遺憾。
あとここでもやっぱり、僕の事を目の敵にしていた同輩がいましたね(最初から僕にだけ風当たりが強く、何も思い当たる節がない)。
僕より年下でありながら、僕より2ヶ月早く入社したというだけで、僕を立たせて自分は座ったままで長々と一方的に責め立てるという事がしょっちゅうあった。
その後、僕が入社してわずか1年で消えてくれたので何とか助かりましたが。
他にも、僕がちょっとしたミスをしたというだけで、やっぱり年下の別の同輩が「今度同じミスをしたらワンパンだからな」と脅してきたり(脅しで人を教育出来ると本気で思っているのだろうか)、社長は社長で大声で他の社員を怒鳴ったり、今考えたら普通にパワハラですね(冷めた目)(2回目)。
これで表向きにはフレンドリーな環境を謳っているのだから恐ろしいね。
因みに社長は、絶対に自分の非を認めない性格。
ある日「ものの例え話」において、「悪い例を行う人」として僕の実名を用いてきて卑下し(AさんBさんとかで十分だった筈なのにわざわざ実名)、それに対して抗議するも「例え話をそんなにいちいち気にする方がおかしい」とのたまって一切謝罪してこなかった(そもそも自分が酷い事をしたのだという自覚すらなかったのであろう)という人でありました。
社長はよく社員に対し、積極的な発言がないだとか萎縮する悪い癖がついているだとか何だとか色々と非難してきたけれども、それは社員全員、社長の完全なるワンマン経営と一方的・威圧的な言動にひねり潰されていた、というのが真実でした。
そんな事にも気づけないような身勝手極まりない人が、うちの会社のトップでしたよ。
クライアントのトップと喧嘩腰にもめる事も珍しくなかった。
先述のとおり、この会社は今時のWeb制作会社らしく、若干チャラい会社でした。
しかし年月の経過とともに、だんだん社長が老害と化していきました。
毎朝の打ち合わせにおいてローテーションで選ばれた社員が10分間のスピーチをしなければならなくなったり、同打ち合わせにおいて社内規則の朗読を行わなければならなくなったり、挙句毎日日報を提出する事にしようかなどとのたまうようになりました。
僕はこのあたりで退職したのでその後は分かりませんが、もしかしたら現在では本当に日報提出が義務づけられているようになっているのかもしれない…。
空残業・リアル残業含め毎日毎日深夜に帰宅せざるをえなくなっていた為、睡眠時間が4時間なんて日がざらにありました(3時間という日もそこそこあった)。
また社内の机と椅子が何となく僕の体勢と合っていなかったようで、だんだん手足が痺れるようにしんどくなってきたり腰や背中が痛くなってきたりするようになりました。
他にも生活リズムを乱された為に入社前と比較して最大5kg太ったり、人生で初のインフルエンザにかかったり(その衰弱によって4kg痩せた)、目薬をさす回数が異常に増えたり、睡眠時間が取れなくてブラックブラックや眠眠打破やメガシャキを毎日服用していたり(それでもたびたび意識が朦朧としていた)、嘔吐するかもしれんと思うほど胃が気持ち悪くなったりと、とにかくこの会社の所為で、僕の身体はどんどん悲鳴をあげていくようになりました。
そんな中でだんだん将来について本気で考え始めるようになり、最終的に表向きには体調不良を理由として(裏ではニートになりたいと考えて)退職する事になったのでした。
在籍期間は前の前の会社より短かったですね、それでもこの会社の歴代社員の中では比較的長くいた方ですけど。
僕が入社した時には18人いた筈の社員、退職する時には9人にまで激減していました。
1年経たずして辞めた社員、僕より後に入社して僕より先に退職した社員も何人もいました。
一応前の前の会社と違って色々身についた事もあったりしたけれども、これだけ労働環境が劣悪であった為、ブラック企業とまではいかずとも限りなくそれに近い「ダークグレー企業」として認定したのであります。